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浜田幸一 病気 死去 [時事]




浜田幸一 病気 死去

8月5日12時ごろ、「浜田幸一 死去」の速報が流れた。

「国会の暴れん坊」と呼ばれ、「ハマコー」の愛称で親しまれた浜田幸一元衆議院議員。

浜田幸一氏は5日午前、千葉県富津市の自宅で死去。

享年83歳だった。

病気であったのか、死因などは不明。

通夜、葬儀・告別式の日程も未定である。

浜田幸一氏は町議員を経て、昭和44年に衆議院議員に初当選。

昭和55年にラスベガスでの賭博行為が発覚し議員辞職するも58年には衆議院議員に返り咲く。

その後も、浜田幸一氏は共産党の宮本顕治議長を「殺人者」と呼び、委員長を辞任するなどまさに「国会の暴れん坊」だった。

浜田幸一氏は衆議院議員を7期務め、平成5年に政界を引退。

その後はテレビのバラエティー番組などで歯に衣着せぬ物言いが人気となり、「ハマコー」の愛称でバラエティー系討論番組に多数出演。

特に「ビートたけしのTVタックル」では自らを「悪党党幹事長」と名乗り、日本の「国会は病気だ」などと語るなど、その言動とどこか憎めないキャラクターで人気を博した。




また、別の番組での有吉弘行さんとの対談では浜田幸一氏自ら「俺ももう2・3カ月が限界。『ハマコーの死』このネタはウケるよ」「天国と地獄の間にアクアラインを作りたい」などと語るなど、随所に飛び出す「ハマコー流ジョーク」は世間に笑いを振りまいた。




そんな浜田幸一氏もこ数年前に元気のない姿をメディアで見せてから「病気か?」と世間で話題になり、その後番組出演はほとんどしなくなっていた。

浜田幸一氏は1928年9月5日生まれ。

衆議院議員、衆議院予算委員長、自由民主党広報委員長、自由民主党副幹事長などを歴任。

自由民主党で通算7回の当選を誇りながら大臣に一度も就任出来なかったのは極めてまれであった。






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